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zoom RSS 福島紀行(5.八槻都々古別神社に参拝)

<<   作成日時 : 2017/08/16 17:59   >>

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郡山駅水郡線ホームに向かう。
2番線と4番線ホームが一つになっており、
さらにその先に小さな3番線ホーム。

と、いきなりのアナウンス。
折り返しの水郡線列車が倒木の影響にぶつかったとかで、
磐城石川駅に停車中とのこと。
その後、80分遅れで運行しているとの案内。
ああ、綿密に立てた今日の予定がガラガラと
音を立てて崩れていく。
事前に知っていたら、
開成山大神宮にも余裕で参拝できた…
(スマホへの運行情報は、
 関東の数路線だけ自動で届くことにしているが、
 今後は旅先の運行情報を入手すべきか)。

これからどのような状況になるかわからないので、
KIOSKでサンドウィッチを購入。

結局、1時間ほど遅れて郡山駅を発車。
しかし途中で20分ほどすれ違い列車待ちがあるなど、
目的の近津駅に到着したのは
予定よりも1時間以上遅れの12時前。
幸いなことに、朝から少し降っていた雨は
今は止んでいる。

ものすごくさみしい無人駅の近津駅から、
歩くこと10分強であろうか。
近津川に架かる宮橋を渡り、
「御田植祭」で有名な八槻都々古別神社に到着である。
堂々たる式内社、そして奥州一宮。

明神鳥居先に控える随神門には、
巨大扁額「奥州一宮」が架かる。
その先には拝殿。
苔むした境内、色褪せた朱塗りの社殿が
ひしひしと歴史を感じさせる。

画像


というのも、創建は第12代景行天皇の御世。
一説には、日本武尊が八溝山の「東夷」の大将を討った際、
尊を守護した三神(天之御中主神、高皇産霊神、
神皇産霊神)が建鉾山に隠れたので、
尊は東方に箭を放ち箭の着いた地を箭津幾(やつき)とし、
都々古別神社を創建したという。

別の説には、
日本武尊が八目鳴鏑(鏑矢)で夷賊を射たおした時、
その矢の落ちた地を「矢着」と称し神社を創建、
後に「八槻」に改めた、とある。

で、なぜ味耜高彦根命なのか。
境内前案内板では、
日本武尊が八満山の夷と戦った際に、
味耜高彦根命が現れ尊を助け云々とある。
近郷18郷に近津大明神を通じて農業を殖産したらしい。

というわけで、ご祭神は
味耜高彦根命(大国主命と多紀理毘売命の子)、
そして相殿に日本武尊。
日本武尊は、(前述の)建鉾山
(武鉾山、都都古山とも呼ばれる)の山頂に鉾を立て、
味耜高彦根命を奉斎したといわれる。

どうも、いろんな山の名前や
微妙に異なる伝説があってややこしい。
それはさておき、日本武尊の東征と
それに纏わる(討たれた)方々に想いを馳せ、
また当地の安寧を祈って参拝。

本殿は三間社流造を基調としながら、
千鳥破風の屋根と唐破風の向拝。
なかなか珍しい本殿の建築様式ではないか。

皇朝工祖神社(聖徳太子)、熊野神社、
北野神社にも参拝。
近津川に向かう石灯籠の並びが美しい。
ひょうたん池も堪能。

御朱印を受け、
少々強くなってきた雨の中、近津駅まで戻り、
サンドウィッチのかけらをほおばった。

次いで、(めったに来ない)福島交通の路線バス、
近津駅前13時02分発を利用し、
棚倉駅前まで一っ跳び。
ちなみに乗客は終始私一人だけ。
またもや貸切り状態である。

雨がきつくなってきた中、
次なる目的地、馬場都々古別神社に向かう。

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